モリアーティのムサツー日記

武蔵野美術大学通信課程の芸術文化の造形研究コース3年に編入しました。卒業するまでの記録です。

第三回試験結果について質問してみました

美術の歴史と鑑賞、2回連続で落ちました…ということで、その原因について質問してみました。約1週間後、その結果が郵送で届きました。
問1や問2はほぼ正確に答えられていた、とのことです。これは作品が作られた時代のもの見方や考え方を答えればいい、ということでした。問題は問3です。「〇〇について、小学校高学年にもわかるように説明しなさい」的な問題ですね。これは「答えを導き出すための呼びかけ、及びその後に想定されるやりとり」を記述しなければなりません。子どもの反応を引き出し、それにどう答えるかが書かれていない、と。
ということは、セリフの応酬に近い書き方をしていないとダメ、ということでしょうか。早速次のテストで試してみようと思います。

ということで、試験の結果に納得がいかない方は、質問してみるといいと思います。

 

試しにこんな感じに書き換えてみました。

 

皆さん、なぜ桃山時代にはこのような金ぴかの装飾が好まれたのでしょうか?
当時は戦国大名や商人が権力を握っていました。これらの人々が権力を見せ付けるため、金箔の屏風の上に描かれた作品を好むようになりました。また、当時は照明が発達しておらず、普通の絵だとよく見えません。ゆえに派手な金箔で装飾しました。こちらの作品をご覧下さい。狩野派の絵師永徳が描いた唐獅子屏風です。金が目立ちます。照明を落としてみます。当時はこの様な状態で鑑賞していました。最初と比べていかがですか。この「唐獅子屏風」を見て気がついたことはありますか。
「金ピカ、或いは金色が使われている。」(以下、子どもの応答は「」)
そうです。では、なぜこの時代の屏風絵には高価な金が使われたのでしょうか。
「お金持ちがいたから」
そうです。当時は信長や秀吉といった戦国大名が、自分の力を見せつけるために金を使った絵を飾りました。でも、それだけではありません。ヒントはこの時代に電気がなかったことです。電気がないということは、部屋の灯りは…
「ろうそく、ちょうちんみたいなものを使っていた」
そうです。夜はもちろん、昼も暗かったと考えられます。その中で、金はどうでしょうか。
「とても目立つ、光る」
そう。暗い部屋の中でも目立つ。それで金箔が使われたんですね。背景の金箔が光ることで獅子が目立つ。金箔の反射で部屋が明るくなる、といった効果もあったとも考えられています。